以前のブログで紹介した「雑食動物のジレンマ」の著者、マイケル・ポーランが食について言っていることで栄養主義が今の食の中に入り込んでいるということがある。
栄養主義の内容はこの4つ
1、私たちには食べものではなく栄養が必要
2、栄養素は見えないから、それを数値化できるエキスパートに食べ方を聞かなければならない。
3、栄養には良いものと悪いものがある
4、食べることの意味は健康のため(生きていくため)だけ。
今、テレビや雑誌、新聞や広告などどこを見ても健康食品が溢れています。その広告で書かれていること、それは多くの場合何かの栄養素
例えば、トマトのリコピン、大豆のイソフラボン、ニンジンのβカロチン、ゴマのセサミンなどこういったのが一例ですが、ほとんどのものが「トマト」ではなく、「トマトの中の栄養の1つ」に焦点を合わせています。
そしてその栄養素の1つが非常に大切なものとして伝えられています。
もちろんリコピンは私たちの目には見えません。肉眼で見ようとしてもトマトにしか見えません。
もしリコピンがトマトの中で最重要な栄養素であるとするとリコピンの含有量=トマトの価値となります。
でもそのリコピンの含有量は私たちには分からないので専門家が必要になります。
専門家にどのトマトがリコピン豊富で私たちの体にとって良いものなのかと聞く必要があります。
だからテレビのCMや広告などでは大学教授や何かしらの専門家が出てその良さを伝えています。
なぜ食べものの話かというとこの栄養主義は『食』だけでなく『農』の世界にも入り込んできているからです。
作物を育てるとき、ほとんどの農家がまず考えることはチッ素・リン・カリというミネラルについてです。どれだけの量をどのタイミングで使うか。人によってさまざまですが、何を育てるか決まっていたら、これを考えることがほとんどです。
そのチッ素・リン・カリはもちろん農家の目に見えるわけがないので、企業や専門機関が分析した数字をベースに使う量を決めます。
もちろんこの栄養には良いものと悪いものがあって、例えば
硝酸態チッ素は最近「悪」として取り上げられることが多く、カルシウムは大体「良い」方として取り上げられる。など良し悪しもあり、
チッ素・リン・カリを使うのは作物を収穫するためだけ。
私たちの食生活に入り込んでいる栄養主義の内容と同じようなものになっています。
肥料が多い少ない、悪い良いという議論はありますが、土をという話はあまりありません。土の現状を認識して、表土を豊かにしていく。そんな話はほとんど聞くことがありません。
去年くらいから色んな地域の有機農家の話を聞く機会が増えましたが、その話の中で出てくる話の中で気になるのが「カルシウム、マグネシウム、鉄」などのミネラルのどれがどの位必要かということ。
確かに考える必要はあるとは思いますが、「それだけ」考えることに問題があるのではないでしょうか。
確かに現代の私達の食べものには必要な栄養が不足していますが、栄養を取るベースは誰もが「食べもの」がベースです。
いくら良いサプリメントでもそれを主食にすることはできません。食べものはただ炭水化物、タンパク質、脂肪、ビタミン、ミネラル、食物繊維が含まれているだけでなく、それ以外にも様々な物質が複雑な形で含まれています。
土においても私たちの体と同じように考える必要があるのではないでしょうか。
土には多くの生物が生きており、彼らの消化のプロセスを経て多くの栄養素が植物に供給されます。
土の生きものに「栄養素」ではなく「食べもの」を与えることが彼らの健康管理=土の状態の管理にも必ず必要です。
その食べものが植物や動物や微生物の遺体などの有機物です。
もちろん土への与え方も人間の食生活と同じでバランスが大切で良いものであっても大量に食べ過ぎることは悪影響になりかねません。
食べものを考えるときに何が正しいのかは分からないけど、
フランス人の友人が面白い事を言っていた
「私はマーガリンではなく、バターを食べる。なぜなら私は科学者よりも、牛を信じるから」
料理をするときも必要なのは科学者ではなく、伝統や経験や五感や。人間の感覚。
土への食べものもそんなアプローチが必要だと思う。
特に今のような栄養主義的なアプローチは複雑すぎて一般の人が数字を理解しながら食べものを育てたり、土に接すると言うことは不可能と言っても良いかもしれません。
細かい数字やデータも大切だとは思いますが、自然をすべて理解することは難しいのでもっと大きな視点でのとらえ方がないと食べ物の栄養主義的なアプローチがますます増え、食べものを選ぶ消費者の混乱と同じような混乱状態に巻き込まれてしまうのではないかと思います。
栄養主義の内容はこの4つ
1、私たちには食べものではなく栄養が必要
2、栄養素は見えないから、それを数値化できるエキスパートに食べ方を聞かなければならない。
3、栄養には良いものと悪いものがある
4、食べることの意味は健康のため(生きていくため)だけ。
今、テレビや雑誌、新聞や広告などどこを見ても健康食品が溢れています。その広告で書かれていること、それは多くの場合何かの栄養素
例えば、トマトのリコピン、大豆のイソフラボン、ニンジンのβカロチン、ゴマのセサミンなどこういったのが一例ですが、ほとんどのものが「トマト」ではなく、「トマトの中の栄養の1つ」に焦点を合わせています。
ブラックチェリートマト |
そしてその栄養素の1つが非常に大切なものとして伝えられています。
もちろんリコピンは私たちの目には見えません。肉眼で見ようとしてもトマトにしか見えません。
もしリコピンがトマトの中で最重要な栄養素であるとするとリコピンの含有量=トマトの価値となります。
でもそのリコピンの含有量は私たちには分からないので専門家が必要になります。
専門家にどのトマトがリコピン豊富で私たちの体にとって良いものなのかと聞く必要があります。
だからテレビのCMや広告などでは大学教授や何かしらの専門家が出てその良さを伝えています。
なぜ食べものの話かというとこの栄養主義は『食』だけでなく『農』の世界にも入り込んできているからです。
作物を育てるとき、ほとんどの農家がまず考えることはチッ素・リン・カリというミネラルについてです。どれだけの量をどのタイミングで使うか。人によってさまざまですが、何を育てるか決まっていたら、これを考えることがほとんどです。
そのチッ素・リン・カリはもちろん農家の目に見えるわけがないので、企業や専門機関が分析した数字をベースに使う量を決めます。
硫酸アンモニア(化学肥料) |
もちろんこの栄養には良いものと悪いものがあって、例えば
硝酸態チッ素は最近「悪」として取り上げられることが多く、カルシウムは大体「良い」方として取り上げられる。など良し悪しもあり、
チッ素・リン・カリを使うのは作物を収穫するためだけ。
私たちの食生活に入り込んでいる栄養主義の内容と同じようなものになっています。
肥料が多い少ない、悪い良いという議論はありますが、土をという話はあまりありません。土の現状を認識して、表土を豊かにしていく。そんな話はほとんど聞くことがありません。
去年くらいから色んな地域の有機農家の話を聞く機会が増えましたが、その話の中で出てくる話の中で気になるのが「カルシウム、マグネシウム、鉄」などのミネラルのどれがどの位必要かということ。
確かに考える必要はあるとは思いますが、「それだけ」考えることに問題があるのではないでしょうか。
確かに現代の私達の食べものには必要な栄養が不足していますが、栄養を取るベースは誰もが「食べもの」がベースです。
いくら良いサプリメントでもそれを主食にすることはできません。食べものはただ炭水化物、タンパク質、脂肪、ビタミン、ミネラル、食物繊維が含まれているだけでなく、それ以外にも様々な物質が複雑な形で含まれています。
土においても私たちの体と同じように考える必要があるのではないでしょうか。
土には多くの生物が生きており、彼らの消化のプロセスを経て多くの栄養素が植物に供給されます。
土の生きものに「栄養素」ではなく「食べもの」を与えることが彼らの健康管理=土の状態の管理にも必ず必要です。
その食べものが植物や動物や微生物の遺体などの有機物です。
もちろん土への与え方も人間の食生活と同じでバランスが大切で良いものであっても大量に食べ過ぎることは悪影響になりかねません。
食べものを考えるときに何が正しいのかは分からないけど、
フランス人の友人が面白い事を言っていた
「私はマーガリンではなく、バターを食べる。なぜなら私は科学者よりも、牛を信じるから」
料理をするときも必要なのは科学者ではなく、伝統や経験や五感や。人間の感覚。
土への食べものもそんなアプローチが必要だと思う。
特に今のような栄養主義的なアプローチは複雑すぎて一般の人が数字を理解しながら食べものを育てたり、土に接すると言うことは不可能と言っても良いかもしれません。
細かい数字やデータも大切だとは思いますが、自然をすべて理解することは難しいのでもっと大きな視点でのとらえ方がないと食べ物の栄養主義的なアプローチがますます増え、食べものを選ぶ消費者の混乱と同じような混乱状態に巻き込まれてしまうのではないかと思います。
0 件のコメント:
コメントを投稿