2011年4月5日火曜日

100年先に残していくもの

今、地域の焼却、または廃棄されている植物資源を今のようにゴミとして扱うのではなく、「資産」として扱うのが当然となるようにするための土づくりを主に取り組んでいます。

これがなかなか難しいことに、選定した木やら、落ち葉やら、草やらはみんな「ゴミ」として扱われており、その他様々な廃棄物と同じように、捨てられてしまっている。
確かに、今の時代はゴミとして捨ててしまったら、自分とは関係の無い業者や行政などがどこかへ持って行ってくれ、どういう形かは分からないが私たちの目に見えない形で処分してくれているので、ゴミ捨て場に持っていくだけで、自分たちにとって何の資産価値もないものを処分することは簡単にできる。

それ以外にも、水道の蛇口をひねれば水は出るし、スイッチを押すだけで電気が使える。スーパーに行けば食べ物は買えるし、燃料を使えば車などでラクラク遠い距離でも移動ができる。家もお金を払えさえすれば簡単に且つあっという間に出来上がる。店に行けば気軽に季節にあった服を買うこともできる。

でも、僕自身、全部がどういう風に機能しているのかはよくわからないものばかりだ。


  • 水はどうやって家まで運ばれてきていて、排水口からどこへ行くのか。あまりよく知らない。
  • 電気も、どうやって作られていて、どういう仕組みで毎日使えているのか。よくわからない。
  • スーパーに売られている食べ物はどうやって作られているのか、どうやって加工しているのか、加工のプロセスが伝統的に人間が行って来たプロセスではなく工業として成り立っているものに関しては全くと言ってもいいほどわからない
  • 運転はできても車がどういう仕組みで動いているのかも、燃料はどういうプロセスを経てガソリンスタンドまで運ばれてきたのかも知らない。
  • 家も自分で建てたこともないのでどうやっているのか、よくわからない。素材はどこから来ていてどういう加工をしているのか。わからない。
  • 服の原材料はどこから来ていて、どうやって加工されているのか。誰が作っているのかすら分からない。原材料をどういうふうにして手に入れているのかもわからない。


生活の基本としてよく言われる「衣食住」シンプルなこの3つですら、今のこの社会といきなり切り離してしまうとどういうふうにしたら良いのか、わからない人はおそらく自分だけではないはずだ。

これだけつながりを欠いた社会構造を持ったのはおそらく人類史上初だろう。
150年ほど前まで遡ればその社会は見える範囲で、知ってる人によって営まれていたのではないか。

すべてのものが見えないところで行われている。ここに問題もあるのかもしれないけど、これを捨て去ることはできない。

ゴミの問題も、この見えないように処分されているという部分が気軽に捨てようという気分にさせてくれる大きな要因だろう。

最近、土づくりのために使っている土地の整備をしている、それは何故かというと20年かそれ以上前に使っていた人が残して行ったものが大量にあるからだ。ガレキやら金属片、プラスティックやら缶など色んなものが残されていた。
昨年9月からなので徐々に片付けてはいたが、未だに残っているものが多く、ここ数日の間にできるだけ片付けてしまおうと片付けを始めた。

そんなことをしながら思うのは、この廃棄物たちは前の世代の人たちが残していった「負債」みたいなものだということだ。
たしかに今、最新型の家電やら車を買ったところで100年先に残るものといったらゴミだけかもしれない。
片付けながら、なんと迷惑なものを残してくれたんだこの前の世代は。ということをいつも思う。もちろん今この瞬間を生きている私たちも同じようにゴミやら廃棄物をたっぷり残している最中だ。

いきなり、この社会とのつながりを経ってひとりで行きていこうなどということは思わないので、ゴミを出さない生き方を。というようなことをは口が裂けても言えないが、今から100年経って、その時代を生きている人たちに21世紀の初頭はこのように大量の廃棄物を残し、これが原因で○○のようなことが。ということを言われる様になるのかもしれない。歴史の教科書にもそういう風に刻まれることになるのかもしれない。

たしかに今買っている物のほとんどが100年先の人から見ればただのゴミでしかないものばかりかもしれない。これは次世代に残していく「負債」だ。と考えたとき、
100年後にまだ資産として残していけるものは何があるんだろう?

という質問に対する僕の答えの一つが「土」です。

100年先でも人は食べなければ生きて行けない。その食べものの質や栄養素が落ちていることは様々な研究でも明らかになっているし、個人としての実感でもそう感じる人は多いのではないかと思う。

昔の日本人は、親の世代から農地を引き継いだ時より、自分の子供達へと引き継ぐときにより肥沃にして引き継がせる。というような話を聞いたことがあるが、今やっていることは全くの反対だ。

将来を犠牲にして今最大限の収穫量をあげることができるようにする。これが一般的な食べものを育てる現場で常識として行われている。

なかったら生きていけないものは生物であるかぎり100年先でも今でも同じものだ。
空気、水、食べもの。
この3つを欠いたら命が危なくなる。

空気がなければ、秒から分の単位で
水がなければ、週の単位で
食べ物がなければ、月の単位で
人間は生きて行くことが出来なくなる。

つながりの無い社会でゴミとして燃やされる植物の資源。これは管理してやるなら半年から1年程度で土へと戻すことができるようになる。ただ戻すだけではなく、それは土の状態を変え、植物やそこに生きるすべての生き物の環境も変える。もちろんそこから出来る食べ物の質が変わるから、人間や動物にも大きな影響が出るだろう。

これが普通のゴミと違うのはかなり簡単に、将来の負債と考えられるものが、資産へと変えることができるというところにある。そしてちゃんと管理していけば、100年先を生きる人達の食べものを育てることができる肥沃な土を残していくことにもつながっていく。そしてそれは水やその他様々な自然環境にも良い影響を及ぼす。


今、いろんな燃料や費用を使って燃やしているものは100年後の人間の視点から見れば資産。
他の廃棄物と違うのがこの点だ。

100年先の学校で、歴史の授業を受ける子供たちが、21世紀初頭の人々が残したものに対してどう思うのか。
それを変えるための最初の一歩が、植物の資源を資産と見るか、それともただのゴミと見るか。

今の人間の見方によって変わるのではないかと思う。
オーストラリアで、日本ではこういうモノをほぼ燃やしてしまっているし、ほとんどの人が気にもかけないといったときに「驚き」という反応を示していた。植物の資源を土に戻すためにコンポスト化している業者の人が言っていたのがずっと残っている。
「ここに来た廃棄物は大体半年で「黒いゴールド」に変わる。」


こういったもの以外にも土へと戻すことでプラスになるものはまだまだある。

土に戻すことで100年先において、資産となり得るもの。
これらを出来る限り、すべて資産として残る形にしていく


これが今の僕の夢です

夢の実現のために出来ることをコツコツとやって行こう。

まずは前の世代が残した負債の処理から…

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